Mamaのつぶやき

子育ては終わったけれど‥これからの生き方を考えつつ、平凡なシニア主婦が呟きます

ペット介護体験

Rが重症になってからわかった病気「腸リンパ管拡張症」とはどんな病気なのでしょう。

簡単にまとめてみました。

🌟ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
腸管と腸のリンパ管を圧迫する腫瘍などが原因で、リンパの流れが妨げられ拡張し、機能不全を起こす病気です。
リンパ管内のリンパ液が腸管の内腔に漏れ出てしまう為、タンパク質も出てしまいます

慢性の下痢が続き、体重減少、腹水、胸水、浮腫も起こる事があります。


腸の組織を一部切り取って病理組織的検査をしないと確定診断はできないそうです。

完治は難しい病気の様です。

治療は、食事と薬です。低脂肪食にし、ステロイドの投与を続けます。腹水がある場合は利尿剤を使う
こともあります。


🌟ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Rの場合は、老犬で、かなり進行していたため、病理検査はしませんでした。血液検査だけやりました。その結果は非常に悪く、その為、無理な治療はしないことに医師も賛成してくれました。


今こうやって、思い出していくと、「あれで良かったのかな」という思いが出てきます。


見た目は穏やかだったけど、Rは苦しかったのだろうな、お腹も痛かったのではないかな、と想像してしまい、わかってあげてなかったのではないか、もっといたわってあげたらよかったのではないか、と反省の気持ちがわいてきます。

犬は我慢強いです。もし、同じ症状が自分自身に起こったら、どんなに弱音を吐く事だろう。

もっと苦しさをわかってあげたらよかったと、今更ですが自分を責めています。

寿命だったのだと諦めてはいましたが…、ペットロスとはこんなに辛いものなのですね。







ペット霊園に行こうと思っていました。


しかし子どもが反対。

「遠い知らない所に置いて帰るなんてできない。Rはきっと自分は捨てられたと思っちゃうよ。いつも一緒にいたい。」と涙を浮かべて訴えました。

確かにそうです。病院に入院した時、不安そうだったあのRの顔が浮かびました。

霊園は丘の上にあります。行った事もないところだからさぞ怖い事でしょう。

もし家を引っ越す事があったら、骨を掘り返せば良いのです。

リビングから良く見える所に埋めることにしました。


子ども達が早朝から穴をほり、泣きながらそっと亡骸を置きました。お花と一緒に。


亡くなる前日にRと一緒に眺めた金木犀の木の下です。
      

満開だった花はもうほとんど散っていましたが、不思議な事に、再び満開になり、お墓の上に沢山の黄色い花を散らしました。まるで止まらない私たちの涙のように。


金木犀の香りが漂う季節になると、この日の事を思い出します。


ペットとの別れは、もしかしたら人間との別れより辛いかもしれません。心を通わせたペットは、純粋で人の心を清めてくれる存在であり、愛おしく、心の支えにもなってくれるものだからです。


本当の慈愛を感じさせてくれる存在を失うのは、身体の一部を無くしたも同然と言えます。


その日以来、初めてペットロスというものを知りました。





Rがのびをした後、オムツを交換しながらもしや…と、嫌な予感がしました。


そして、様子を良く見ると、いつもならくるんと横になるRの身体が、だらんと力が抜けていました。


「Rを見て!」と傍にいた子供に叫びました。そしてRから目を離しませんでした。

首から胸にかけて見えていた呼吸の動きが弱くなったかと思うと、すうーっとゆっくり動きが止まりました。
オムツを換えてからあっという間でした。


とても静かに息を引き取りました。静かに眠る様でした。

少しでも目をそらしていたら、気がつかなかったはずです。

その瞬間に立ち会えた事は奇跡でした。子どもも、たまたま学校が休みだったし。


普段なら私は仕事や買い物、子どもは学校で、誰もいない時間だったかもしれません。


Rにきちんとお別れができたのは、Rからの最後の最高のプレゼントだったと思います。


呼吸が止まってから、心臓の音を聞く為、聴診器をあてました。するとびくっと身体が動いたので驚きました。

まだ生きている!と思った瞬間、口から一気に「はーっ」と息を吐きました。肺の空気が全て出た様でした。


それまで閉じていた口が大きく開き、そのまま固まってしまいました。それが本当の最期の姿でした。


口からもどこからも何もでませんでした。とても綺麗な姿でした。

最後のトイレの時、大量に便がでたあの時が内臓的には最期だったのかもしれません。あの時、腸を空っぽにしたのでしょう。

おしっこは直前にしたばかりでした。


目は前から開いたままでしたので、そっと閉じてあげ、口も閉じてあげました。

すると本当に安らかな寝顔になって、とても天国にいったとは思えない可愛さです。


この時は、自分が看取れたという満足感みたいなものがあって、まだ実感がわきませんでした。


夜はいつものように、私の横でいつものベッドで並んで寝かせました。

やっと楽になれたんだねとホッとする気持ちと、明日からはもうRには会えないんだと思うと寂しさが夜になるとどーんと襲ってきたのです。


家族の前では、冷静だったのに、布団に入ると涙があふれてとまりませんでした。     


        inu
 







次第に弱っていくR。


静かに寝ている毎日。オムツを換える時がとても愛おしく、「おしっこが出たね。今換えるからね。」と声をかけながらRに触れます。

身体はすっかり骨ばっていて、そっと扱わないと壊れそうです。

Rの顔を見ると、頬が膨らんだりしぼんだりしている事に気が付きました。

これは頬呼吸と言って、呼吸困難の状態だと、ネットに書いてありました。

人間でいえば、危篤の時に顎を動かして呼吸するのと同じ状況らしいです。

危篤なのだとは思いましたが、Rは静かに寝ている様に見えるので、とても苦しそうには感じられないのです。意識は無いのか動けないだけなのか。

あとどの位、生きていられるのだろう。心臓の音は意外に強いのです。

心臓だけが元気で、他はもうダメなのかと思いました。それでもまだ、大丈夫な気がしていました。

家族には、いつお別れが来るかわからないと話し、皆で話しかけました。


感謝の言葉や、労う言葉ばかりが出てきました。本当にそれしかありません。


「もう大丈夫だよ。家族の事をいつも心配してくれていたね。お疲れさま。有難う。」と皆が声を何度もかけました。


翌日、午前10時過ぎの事です。


いつもの様に、心臓の音を聞きました。するといつもより鼓動が弱くなっていました。


いつもはいない子どもが、その日はたまたま休みで家におり、Rが危ないかもと伝えましたが、まさかと言う反応です。でも、なるべくRの傍に入る様にしていました。


鼓動が弱くても、まだ動いているのだから大丈夫と思っていました。そう思いたかったという事でしょうか。


Rが、ムズムズと動きました。あ、おしっこしたなと思い、オムツを換える準備をしました。

その時、Rが、手足を伸ばして大きく伸びをしたのです。気持ちよさそうに。


それを見て、「あれ?伸びをする力があるんだ。今日は気分がいいのかな。」なんて一瞬思ってしまいました。そして「今日は気分がいいのかな?」と話しかけながら、オムツを換えました。

オムツを換える時、いつもと違いました。Rの身体に力が入っていません。いつもならピンとしている身体がだらんとしています。

ここで思い出しました。誰かのブログで、ペットが亡くなる時、のびをしたと書いてあった事を。






Rの目は完全にダメになっていました。

瞼を閉じる事もできず、あいたままで、眼球は乾いてしまいました。痛々しくて、何とかできないものかと、ネットで犬の目薬を注文する位しかできませんでした。


病院に連れていくなんて絶対にしたくない。こんな状態で何ができるのか。


ストレスになるだけの注射、入院させて独りぼっちにする?病院で急変したら?絶対後悔すると思いました。
入院中に急変して慌てて迎えにいったら、亡くなっていた、最期を見てないので納得できない。入院させなきゃよかったと後悔される方も多い様です。


治る見込みがあるのならばそれも良いですが、もうここまできたら家で静かに過ごさせてあげたい。

そう決めていました。
IMG_1206


Rの心臓はしっかり鼓動を打っていました。食べ物は受け付けず、水分だけをとるだけですが。


無意識に口を動かしているのか、意識はあるが動けないのか、一日中横になったままです。


苦しかったり、痛かったりするのかもしれませんが、表情にも呼吸にも声にもだしません。


そんな時、Rの横で、子どもがギターを弾きました。Rの前でよく弾いていた曲です。

その曲を聴くと、いつもRは子どもの前に来て、気持ちよさそうに寝ていました。きっとこの音色とメロディが好きなんだねと話していたのです。

もう聴こえていないかなと思いながら、ギターを弾くと、Rが反応しました。顔を少しだけギターの方に向けたのです。

「ああ、聴こえているんだ。きっと喜んでるね。良かった。」と私たちは救われました。


嬉しいけれど悲しさはつのります。


まだ、五感が残っているかもしれないなら、今のうちにRの喜ぶ事をしてあげたいと思いました。


庭は金木犀が満開で、甘い香りで一杯でした。


私はRをベッドごとしっかり抱き上げ、庭に出ました。
金木犀の木の下に立ち、「いい香りだね。」とRに声をかけました。

反応は無かったのですが、きっと何かは通じたかなと思います。

今では、この光景が忘れられない思い出になっています。この時、最後にRと心を通わせられたと確かに感じられたのです。


身体の中は、もうダメになっていると感じられました。

心臓は強かったので意識朦朧ではありますが、しっかり生きているという日が続いていました。

Rの体内から発する異様な臭いと閉じない目、痩せこけた身体を見ていると、早く楽になってほしいと思う事もありました。
それは永遠の別れが早くなる事です。別れたくないのに、楽にしてあげたい気持ちとの葛藤が続いていました。

自分の信念は、”自然に任せよう、人間の都合でいじりまわして余計なストレスと負担をかける事なく、なるべくやすやかに最期を迎えさせたい”というものでした。
最後にかかった病院も似た様な考えであったのが幸いでした。

これで良いのかなと思う事もありましたが、自分がしてやれる事には限界があり、後は最期を看取る事ができればよいなと思っていました。

一日中、ついてやりたくても、買い物に出ないといけませんし、用事もあります。


ちょうどこの時、勤めていた会社が倒産し、しばらくは私は仕事に行かずにすみました。仕事よりRの事が優先で、ちょうど良かったと喜んでいました。

昼間、家族が外出時は、Rは家で1人です。留守中に1人で旅立ったらどうしようと気が気ではなく、いつも早めに用事を済ませ、急いで帰っていました。


毎日が悲しさと重苦しい気持ちでしたが、「まだRは頑張って生きている。悲しむのはおかしい。」と自分に言い聞かせていました。





↑このページのトップヘ