Mamaのつぶやき

子育ては終わったけれど‥これからの生き方を考えつつ、平凡なシニア主婦が呟きます

2019年05月

出産後、くたくたの身体を休めることはできませんでした。

病室の目の前が分娩室。廊下はいつも灯りがついており、いつもバタバタと看護師が走る音がします。

部屋の窓がガラスでカーテンも無いので、夜は音と光で眠れないのです。

昼は看護師の出入り、赤ちゃんを連れて来て、母乳が出る様に定期的におっぱいをくわえさせます。

母乳のホルモンが出始めるのは、3日目くらいからです。

その前に、母乳マッサージをされましたが、乱暴で痛すぎでした。肌は真っ赤になり、傷ついてしまいましたが、気にもされず、毎日激痛に我慢しながら無理やりマッサージをされました。
そのまま赤ちゃんに加えさせる為、ものすごく痛いのです。
痛みと傷で、母乳を与えるのが苦痛になり、精神的な影響で母乳の出も悪くなるのです。

それでも、看護師さんは何もしません。
胸が張って、腫れてくると「乳腺炎になったら処置します」と言うだけで、防ぐ事はアドバイスもなく「母親なんだから耐えて当たり前」みたく、ひどいものでした。


この病院は、ここしか無いので混んでいて、サービスする意識も無かったのでしょう。

2人目の時の病院は、肌が赤くなるのを見たら、即、マッサージをやめてくれました。それに産後3日間は、疲れをとる様にぐっすり眠らせてくれました。
赤ちゃんの世話は3日間させず、4日目から母乳の練習でした。
マッサージなんてしなくても、たっぷり出ました。
お母さんは、出産で長い時間苦しみ、体力を消耗した後、すぐに赤ちゃんに母乳をやるよう病院によっては厳しく指導されるのです。

全然休めなくなるのです。
産後鬱は、こういう心身の疲労も原因になる気がします。産んだ途端に、お母さんなんだからと周りが急に厳しくなるのも問題です。


1人目の時は、何から何まで悲惨でした。

出産の時、遅刻してきた年配の助産婦さん、お昼の母乳の時間に赤ちゃんを連れてきました。
「はい、どうぞ」と差し出す赤ちゃんの顔が違いました。

え?なぜ他のお子さんを?と思い、戸惑っていると「何してんの、早く抱っこしなさいよ」と怒る助産婦さん。

「この子を抱っこするのですか?うちの子じゃないのに?」と言うと
はあ?と言ってから、名札を見て慌てて交換しに行きました。

こうやって取り違えられるのか、と思いました。新生児は同じ顔に見えるかもしれませんが、我が子は一度見れば、忘れません。

もし、これが産んだ直後なら、間違えて連れてこられても気がないでしょう。ぞっとします。

これだけでなく、その後、医師のずさんな処置が行われることになるのです。

続き

1人目を出産してから4年後に2人目を出産しました。

医師が言われた通り、あの症状から解放されました。子宮内の細胞が出産ではがれ、再生されたのでしょうか。運が良かったと思います。

もし2人目ができなかったり、何かの理由で産めなかったりしていたら、一生苦しんで生きていたことでしょう。
予期不安に付きまとわれ、精神もバランスを崩していたと思います。

それにしても、痛みの原因は、医師の処置が良くなかったようです。

ですから、2人目は別の病院で出産しました。

1人目の処置ミスとはどういうものだったのか、記憶をたどり説明したいと思います。


実家に帰省しての出産でした。
病院は母が決めていました。田舎なので産婦人科が少なく、一番人気のあるところにしていました。

いつも混雑しており、1人しかいない医師は多忙な状態。

私が産気ついたのは運悪く日曜日でした。2月の寒い日でした。

病院にいくと、病室に通され、陣痛に耐えて過ごします。
陣痛が強くなると、診察室に連れて行かれるのですが、暖房がついてないのです。お休みで。

薄い病衣を着せられて、寒くて震えていましたが、急に冷えたせいで陣痛が強くなりました。
電気もついていない診察室に1人寝かされたまま放置されました。

陣痛が強くなり、苦しんでいると、見習い風の看護師さんが来て慌てて私を分娩室に連れて行くのです。階段を下りたり、上がったりをさせられました。

陣痛室に寝ているとやっと医師が来ました。
そして診察して、「なあんだ、まだじゃないか」と怒っています。そして隣の自宅に帰宅してしまいました。

そしてまた部屋の移動をさせられました。

暫くして、破水しました。母が連絡し、また見習いの看護師さんが不安気に私を陣痛室に連れて行きます。そしてまた放置。

もう1人、看護師さんが来て2人で「どうしよう」と話しているのです。そして私に「本当に破水したのですか」と聞いてきました。
聞いても、何をするでもなくただ2人で不安そうに見ているだけ。

陣痛に苦しみながら、おいおい、何言ってんのと心の中で思っていました。

陣痛は進んでいきます。もうやばいという段階になっても、放置されていました。

自分で呼吸を整えていましたが、いきみたくなってきました。もしかしてこの何もできそうにない見習い看護師さんだけでやるの?ありえないよね。と思いました。

医師に連絡してもなかなか来ない様でした。休日だから安みたかったのでしょうか。
一度帰宅して寝ていたのでしょうか。

いきみだしたら、医師がやっときました。

髪はぼさぼさ、寝ぼけた顔に見えました。医師の指示でそこからはてきぱきと進み、無事出産しました。そこへ、助産師さんが走ってきました。
本来なら、看護師でなくこの人がいるべきだったのです。
「映画みていたのよ、お産はもう終わっちゃったの?間に合わなかったわね」と話しているのが聞こえました。私の処置もそこそこに、医師や看護師と映画の感想などを話しながらの作業でした。

いい加減にしろよという気持ちと、疲労でぼーっとしていました。

その後、この助産師はまた問題を起こします。          続きます。





だいぶ前の体験談をしたいと思います。

私が最初の出産をしてから1年ほど経った頃の体験です。

夜、突然下腹の激しい痛みで目が覚めました。腸がねじれている様なそれまで味わった事の無い痛みでした。突然です。

トイレに行きましたが、何もでません。お腹が張ってきて、痛みが強くなり、そのまま気を失ってしまいました。痛みに耐えられなくなったせいなのか、貧血だったのかわかりませんが、気が付くとトイレに横たわっていました。

どれ位、意識が無かったのかはわかりませんが、長くはなかったと思います。

痛みは弱くなっていたので、布団に戻り、身体を温めているとまた眠ってしまいました。


朝起きて、あれは何だったのだろうかと不思議になりました。

感じとしては、腸が一時的にねじれて、腸閉塞の様になり、何かのはずみでねじれがとれた様な感じです。

でも、何か悪い病気かもしれないしと近所の内科に行きました。

特に胃腸に異常はないと言われました。気を失ったという事を気にされて、脳の病気ではないかと思われた様で、脳外科を紹介されたのです。

脳外科も異常なし。

内科はたいした検査もせず、いきなり脳を調べるとかは違和感感じましたし、お腹なのでもっと先に考えられる部位もあるのではと私自身は納得がいきませんでした。
気を失うほどの痛みなんて、よっぽどの事だと思ったのです。

突然襲ってくるので、いつどこでまた起こるかわからない、赤ん坊を連れて買い物中とかに痛くなったらどうしようと思ったら、不安で外出が怖くなりました。


精神的に追い詰められる感じになってきたのです。予期不安というものですね。

原因を知りたい、と思っていたところ、生理前になると、以前は痛くなかったのに下腹部がキリキリと痛くなる事に気がつきました。

次は産婦人科に行ってみました。すると原因がわかりました。

出産した病院での産後の処置が悪かった様で、子宮にお産の残骸が残っており、それが腐敗し感染した後の傷跡があると言われました。

ケロイドになっているから、子宮が収縮すると痛いはずですよね。

当時、こう言われました。「昔からこれは血の道と言って、産後の処置が悪かった場合、体調不良をかかえて生きていかねばならないのですよ。でも、薬があるから、少しでも痛いなと思ったらそれを飲んでくださいね」

個人の小さい産婦人科でした。その前に大学病院にも行ったのに、異常なしと言われていました。

「唯一、治す方法があります。それは出産すること。子宮内が全て生まれ変わるから」とも言われました。運が良かったのは、その時まだ若く、もう一人、出産する事ができた事でした。


                            続く



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